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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)9347号 判決

原告 赤池實 外一名

被告 東京都

主文

一  被告は原告赤池實に対し金二三二万〇、〇五三円、原告赤池二三子に対し金二一二万〇、〇五三円、及び右各金員に対する昭和四八年一二月一日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告赤池實に対し金八一四万〇、三三二円、原告赤池二三子に対し金七七四万〇、三三二円、及び右各金員に対する昭和四八年一二月一日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  東京都江東区を流れる隅田川には背地面より二メートル余の高さの護岸(防潮堤)が築造されており、これによつて陸地面から河川水面への出入は不可能となつていたが、被告は昭和四一年一一月同区永代一丁目先の大島川水門から永代橋に至る護岸に三か所のコンクリート製公共階段を設けたため(その位置関係は別紙図面のとおりである。その位置に従い、これらを以下、それぞれ大島川水門寄公共階段、中央公共階段、永代橋寄公共階段という。)、これを通じて陸地面から河川水面への出入ができるようになつた。訴外赤池新二(昭和四一年三月二日生、以下、新二という。)は昭和四七年一一月二八日午後三時ごろ右大島川水門寄公共階段を通つて護岸上に昇り、ここから隅田川に転落して死亡した。

(二)  本件事故は被告の前記大島川水門寄公共階段の管理に次のような瑕疵があつたために発生したものである。すなわち、前記各公共階段を管理していた被告は、付近に永代橋児童遊園及び永代公園が設置されたのに伴い、昭和四五年三月ころ右各公共階段の昇降口に落ち鍵付の扉を取付け、常時これに施錠することにして、幼児等が護岸上に昇ることができないよう措置を講じた。ところが、被告は本件事故当時大島川水門寄公共階段の昇降口扉に施錠せず、扉を開いたまま放置していたために本件事故が発生したのである。従つて、被告は右公共階段の管理者として、本件事故によつて新二及び原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

(三)  新二及び原告らの本件事故による損害は次のとおりである。

(1)  新二の逸失利益

新二は本件事故当時満六才の健康な男児であり、本件事故にあわなければ少くとも満一八才から六三才に達するまで四五年間は稼働できたものである。ところで、昭和四六年度の労働省労働統計調査部の賃金センサスによれば、同年における全産業男子労働者のきまつて支給を受ける現金給与額は月額金七万六、九〇〇円、特別給与額は年額金二四万九、四〇〇円であり、生活費として右収入の五割を要するものと考えると、新二の年間純収入は金五八万六、一〇〇円となる(七六、九〇〇×一二×〇・五+二四九、四〇〇×〇・五)。そこで、ホフマン方式により中間利息を控除して、新二の前記稼働可能期間中の総収入の現価を求めると、その額は金一、〇〇八万六、四七六円となる(五八六、一〇〇×一七・三八〇一)。そして、新二が満一八才に達するまでの一二年間は一か月金一万円の養育費を要すると考えられるから、ホフマン方式により右養育費の現価額を算定すると金一一〇万五、八一二円となり(一〇、〇〇〇×一二×九・二一五一)、これを前記総収入から控除すると、新二の逸失利益は金九九八万〇、六六四円となる。

(2)  新二の慰藉料

新二は本件事故により幼い生命を失つたが、その精神的苦痛に対する慰藉料は金一五〇万円を下らない。

(3)  原告らによる相続

原告赤池實は新二の父、原告赤池二三子は母として、各自前記(1) 及び(2) の合計金一、一四八万〇、六六四円の二分の一にあたる金五七四万〇、三三二円を相続した。

(4)  原告らの慰藉料

新二は原告らの唯一人の男の子であり、健康に恵まれ、学校の成績も優秀で、原告らはその成長を楽しみにしていたのに、本件事故によつて一瞬のうちにこれを失ない精神上多大の苦痛を受けたが、これを金銭を以て慰藉するとすれば各自金二〇〇万円が相当である。

(5)  葬祭費

原告赤池實は新二の葬祭費用及び諸雑費として、少くとも金四〇万円を下らない出捐を余儀なくされた。

(四)  よつて、被告に対し、原告赤池實は新二の損害金の相続分金五七四万〇、三三二円及び固有の損害金二四〇万円の合計金八一四万〇、三三二円、原告赤池二三子は新二の損害金の相続分金五七四万〇、三三二円及び固有の損害金二〇〇万円の合計金七七四万〇、三三二円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月一日より支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の事実中、本件事故が発生した時刻及び新二が死亡するに至つた経緯を争い、その余の事実は認める。本件事故が発生したのは午後三時ころよりやや遅い時刻である。また、新二がどこから護岸上に昇り、どのようにして転落したかは明らかでない。江東区永代一丁目一番地先護岸の中央公共階段から永代橋方面へ四〇メートル進んだ地点には、本件事故当時訴外大成礦油株式会社が荷揚げのために設けたものと思われる取りはずし可能な木製の梯子が設置されており、新二がこれを通つて護岸上に昇つたと考えられないこともない。

(二)  同(二)のうち、本件各公共階段を管理していた被告が、付近に永代橋児童遊園及び永代公園が設置されたのに伴い、昭和四五年三月ころ右各公共階段の昇降口に落ち鍵付の扉を取付け、幼児等が護岸上に昇ることができないよう措置を講じたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件各公共階段は、隅田川を利用して船舶による貨物輸送を行つていたはしけ業者等の河川利用者、水防上の目的で河川を監視する河川管理者及び降雨期における水防関係者等の河川水面への出入の必要から設置されたものであるから、これを完全に施錠閉鎖するのは適当ではない。そこで、被告は危険防止のための措置として、当初右各公共階段に手摺を設け、護岸の天端に至る踊り場には鉄パイプ製の扉を設け、右扉に河川利用者及び河川管理者等の関係者以外の一般人の立入を禁ずる旨の看板を取付けた。その後付近に公園が設置されたのに伴い、被告は安全措置をさらに強化するため、昭和四五年三月ころ右各公共階段の昇降口に落ち鍵付扉を設け、手摺の外側に高さ八〇センチメートルの金網製の塀を設置して階段を囲繞し、右昇降口扉に利用者は必ず閉めることとの表示をし、昇降口の護岸壁には護岸上に立入らないよう危険表示の看板を掲げるなどして、公園で遊ぶ児童や散策のための歩行者が護岸上に昇らないよう危険防止の措置を講じたのである。従つて、被告の本件各公共階段の設置、管理に瑕疵はない。

(三)  同(三)のうち、新二が本件事故当時満六才であつたこと及び原告らが新二の父母として相続人であることは認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁

仮りに本件各公共階段の設置及び管理に瑕疵があつたために本件事故が発生したとしても、新二及び原告らには次の過失があつたのであるから、損害賠償額を定めるにあたつては右過失を考慮すべきである。すなわち、新二は本件事故当時満六才八月で、小学一年生の児童であり、護岸に昇ることが危険であることを識別する知能を有していたはずであるのに、あえて護岸に昇つたものであり、その過失は重大である。仮りに新二に重大な過失がないとしても、原告らは保護責任者として、新二が護岸に昇つたり河川水面に近づいたりして遊ぶことのないよう、十分に注意監督すべき義務があるのに、これを怠つていたものであるから被害者側に重大な過失があつたものといえる。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  新二が昭和四七年一一月二八日隅田川で死亡したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証に原告ら各本人尋問の結果を総合すると、右死亡は同人が同日午後三時ころ東京都江東区永代一丁目先の隅田川護岸から川へ転落したための溺死であることが認められる。

そこで、本件事故発生の経緯について判断する。

東京都江東区を流れる隅田川には背地面より二メートル余の高さの護岸が築造されており、これによつて陸地面から河川水面への出入が不可能となつていたこと、ところが、昭和四一年一一月同区永代一丁目先の大島川水門から永代橋に至る護岸に三か所のコンクリート製公共階段が被告によつて設置されたため、これを通じて陸地面から河川水面への出入ができるようになつたこと、右各公共階段の位置関係が別紙図面のとおりであることは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一、二、被告主張のような写真であることについて争いのない乙第一号証の一ないし三、証人梶本洋一の証言によつて昭和四七年一一月三〇日本件護岸に立てかけられた梯子をうつした写真であると認められる同号証の四、証人佐藤安利、同高橋好江の各証言及び原告ら各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  新二は昭和四七年一一月二八日午後二時ころ自転車で近くの永代公園に遊びに出かけた。その際母親である原告赤池二三子は新二に午後四時までに帰つてくるよう言いつけた。ところが、午後五時近くになつても新二が帰宅しないので、同原告は心配になり、新二を捜しに出かけた。同原告はまず、新二の同級生の母親である訴外高橋好江方を訪れて右事情を話し、二人で永代公園付近を捜したが、新二は見つからなかつた。そこで同原告は近隣の訴外佐藤安利らにも事情を話して捜しに出てもらつた。

(2)  佐藤安利は永代公園付近を捜しているうちに、中央公共階段昇降口脇の護岸側壁に新二の自転車が立てかけてあるのを発見し、右公共階段昇降口の扉が開いていたことから、新二がここを通つて護岸に昇り、隅田川に落ちたのではないかと考え、護岸上から水面を捜したが、新二は見つからなかつた。なお、その当時本件各公共階段の昇降口扉には落ち鍵がかかつておらず、さらに中央公共階段と永代橋寄公共階段のほぼ中間地点には木製の梯子がかかつており、この四か所から護岸に昇ることができる状態であつた。

(3)  原告らは同日午後七時ころ佐藤安利から新二の自転車が中央公共階段昇降口脇にあつたことをきいて、護岸上から水面を捜したが、やはり新二を発見することはできなかつた。そこで、原告らは警察官に川の捜索を依頼した結果、警察官も船を使つて午後一〇時半ころから翌二九日午前一時半ころまで河川の捜索にあたつたが、遂に新二は見つからなかつた。

(4)  夜が明けてから、再び警察官が河川を捜索していたところ、二九日午前一一時一五分大島川水門寄公共階段よりやや下流(大島川水門寄)の、護岸から約四メートル離れた水中から新二の死体が発見された。そして、医師による死体検案の結果、新二には額に三センチメートルくらいの長さの外傷が認められた。

右認定の事実によれば、本件事故は、新二の自転車が発見された位置、状態、本件各公共階段及び木製梯子の相互の距離関係、新二の額に傷があること等からみて、新二が中央公共階段を通つて護岸上に昇つて遊んでいたときに発生したものと推認するのが相当である。

被告は新二が中央公共階段と永代橋寄公共階段の中間にあつた梯子から昇つたのかも知れないと争うが、これは何らの根拠もない単なる推測にすぎない。また、証人山口修男の証言中には、新二が大島川水門寄公共階段から昇つたと窺わせるかのごとき部分がないわけではないが、同証言自体あいまいで、これだけでそうだと断ずるにはいささか躊躇せざるを得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  そこで被告の責任について判断する。

成立に争いのない乙第五、第六号証によると本件護岸の天端は幅員が僅か約七〇センチメートルで干潮時の水面から約五・五メートルの高さであることが認められるので、もし人が、特に児童幼児が右護岸の上にあがつて歩行したり、遊んだり、水辺に近づいたりするときは、あやまつて隅田川に転落する危険があることはみやすいところである。ところで、本件護岸は前記のとおり背地面から二メートル余の高さがあるので、人がその上にあがるなどということは容易に起り得ないのであるが、被告において前記のとおり昭和四一年一一月頃三か所に公共階段を設け、しかも、その後右階段付近に永代橋児童遊園及び永代公園が設置された(この事実は当事者間に争いがない)ことによつて、人が特に児童幼児が右階段によつて護岸にあがつて水面と往来する機会と可能性が生じ、ために、右述の危険は具体化するに至つたものと認められる。

そこで、被告が、本件護岸について、このようにして具体化された危険にどのように対処したかについて検討する。

本件各公共階段の管理者である被告が、右遊園等の設置に伴い、昭和四五年三月ころ右各公共階段の昇降口に落ち鍵付の扉を取付けたことは当事間に争いがなく、右争いのない事実に前顕乙第一号証の一ないし三、証人山口修男、同高橋好江、同松村文作及び同梶本洋一の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  本件各公共階段は隅田川において船舶による貨物輸送を行つていたはしけ業者の河川水面と陸地との往来の必要をみたすことを主たる目的とし、あわせて水防上の目的で河川を監視する河川管理者及び降雨期における水防関係者の利便のために、被告によつて昭和四一年一一月設置されたものである。被告はその際、危険防止のため、階段の端に手摺を設け、護岸の天端に至る踊り場には鉄パイプ製の扉をつけ、手摺と扉に関係者以外の立入を禁ずる旨を表示した看板を取付けた。

(2)  その後護岸背面の通路に隣接した場所に永代橋児童遊園及び永代公園が設置されるや、特に公園で遊ぶ児童幼児の危険防止のため前記各公共階段を通つて護岸上に昇らないような措置を講ずる必要が生じたので、被告は昭和四五年三月ころ従来の右設備に加えて、手摺の外側に高さ約〇・八メートルの金網製の塀を設け、昇降口に高さ一・五メートルの扉を設け、高さ約一・三メートルの位置に落ち鍵(扉の金具と固定金具の穴を合わせ、これに鉄の棒を落とし込む方式の鍵)を取付け、扉の上部に「必ず閉める」とペンキで朱書し、右扉付近の護岸側壁に児童にも分りやすいように波が子供におそいかかつている絵入で「あぶない!!」と朱書した看板を取付けた。

しかし、前記(1) の者の河川水面への出入の必要を考え、右扉に施錠することはしなかつた。

(3)  しかし、その後前記各昇降口扉は開かれたままになつていることが多く、時折児童幼児がこれを通つて護岸上に昇り、川岸まで下りて魚取りをするなどして遊んでいたこともあつた。被告の担当職員は本件各公共階段を一か月に一回くらい徒歩で巡回していたが、その間特に河川利用者等に扉の落ち鍵をかけておくよう指導したことなどはなかつた。

以上のように認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実によつて考えてみる。本件各公共階段はいずれも永代橋児童遊園もしくは永代公園から至近距離にあるところに設置されており、公園に遊びに来た児童幼児の目につきやすく、しかも、これを昇れば容易に川岸に出られるため、児童幼児の好奇心と冒険心をそそりやすいものであるから、これを管理する被告としては、前叙の危険を防止して児童幼児の生命身体の安全を確保するため、児童幼児がこれを通つて護岸上に昇ることのないよう、管理上の措置を講ずべき義務があるというべきところ、被告は右危険防止安全管理上の措置として、右各公共階段の昇降口に落ち鍵付扉を設け、手摺のまわりに金網製の塀を設けて児童がくぐり抜けることのできないようにし、昇降口付近の護岸側壁に児童にも分りやすいように絵入の危険表示の看板を取付け、一か月に一回くらい徒歩で巡回監視するなどしたのであるから一応危険の防止に努めたものとはいえる。しかし、右危険防止の要諦が、児童幼児をして公共階段を昇らせないことにあることはみやすいところであるから、もし、前記はしけ業者などの往来の必要上、右階段の昇降口の扉を原則として施錠しておくことができないものであるとすれば(前示証人梶本の証言によると、本件事故後被告において、往来に必要な時以外は右扉を施錠しておくことにしたところ、はしけ業者から多くの苦情が寄せられ、被告としてもその処置に腐心している消息が認められ、この事実から推すと右扉に常時施錠しておくことは無理を強いるものであつたと認められる。)、被告としては、右の者らをして右階段を利用するにあたつて、扉の閉鎖を励行することを確保するに足りる然るべき措置を講ずべきものである。しかるに、被告は、昇降口扉の開閉については、扉の上部に「必ず閉める」と朱書した以外は、全く右階段を利用する前記業者などの自由に任せ、特に右の者らにこれを閉めておくように指導監督上の措置を積極的に講じたこともなく、さりとて扉や鍵の構造等について再検討することもなく、巡回の回数を多くすることもしなかつたのであつて、そのため、右扉は開かれたままになつていることが多く、時には児童がここから護岸に昇り、さらに川岸まで下りて魚取りをするなどして遊んでいることもあつたのである。してみると、被告が本件各公共階段について講じた前記措置は、必ずしも万全のものとはいえず、それだけでは危険防止及び安全管理に実効を期し難いものであつたというほかないから、結局被告の本件護岸の管理には瑕疵があつたものというべきである。

そうして、公の営造物であることの明らかな本件護岸の管理について、右の瑕疵がなければ本件事故は生じなかつたと考えられるから、被告は国家賠償法二条により、本件事故によつて新二及び原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

しかし、被告の管理に瑕疵があるとはいえ、他方、新二が当時満六才(小学一年生)であつたことは当事者間に争いがなく、原告赤池二三子本人尋問の結果によれば、新二は同年令の児童が有する平均的知能を有しており、家庭や学校でも常日頃堤防に昇らないよう注意されていたことが認められ、右事実に前認定の本件護岸及び各公共階段の状況、被告がとつた危険防止、安全管理上の措置(ことに、右階段のそばには、ひらがなとイラストレーシヨンを用いた危険表示の看板がある)等を合わせ考れば、このような措置に反して危険な護岸に昇つて遊んでいた新二にも過失があり、右過失も本件事故発生の重大な原因になつたものといわざるをえない。従つて、後記損害賠償額の算定にあたつては、新二の右過失も斟酌することとする。

三  進んで、新二及び原告らの損害について判断する。

(一)  まず、新二の逸失利益について

新二が本件事故当時満六才であつたことは当事者間に争いがなく、その余命が六三・六三年であることは当裁判所に顕著であるから、新二は満一八才から六三才までの四五年間就労することができたものと認められるところ、本件事故により死亡したためその機会を失い、その間に得べかりし利益を喪つたものである。ところで、昭和四七年度の労働省労働統計調査部の賃金センサス第一巻第一表によれば、同年における全産業男子労働者のきまつて支給を受ける現金給与額は月額金八万八、二〇〇円、その他の特別給与額は年額金二八万八、二〇〇円であるから、その年間総収入は金一三四万六、六〇〇円となる(八八、二〇〇×一二+二八八、二〇〇)。そこで、右金額から相当と認められる生活費五割を控除した年間純収入金六七万三、三〇〇円を基礎に、ライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除して、新二の前記就労可能期間中の総収入の現価を求めると、その額は金六六六万三、八五二円となる(六七三、三〇〇×九・八九七三((一八・七六〇五-八・八六三二)))。そして、新二が満一八才に達するまでの一二年間は一か月金一万円の養育費を要すると考えられるから、ライプニツツ方式により右養育費の現価額を算定すると金一〇六万三、五八四円となり(一〇、〇〇〇×一二×八・八六三二)、これを前記総収入から控除すると、新二の逸失利益は金五六〇万〇、二六八円となる。ところで、本件事故の発生については新二にも前記のような過失があつたのであるから、これを斟酌すると、新二が逸失利益として被告に請求することのできる金額は、右逸失利益総額から六〇パーセントを控除した金二二四万〇、一〇七円と認めるのが相当である。

そして、原告らが新二の父母として、これを相続したことは当事者間に争いがないから、原告らは各自右金額の二分の一である金一一二万〇、〇五三円を相続したことになる。

(二)  次に、新二及び原告らの慰藉料について

新二及び原告らが本件事故によつて精神的苦痛を被つたことは認めるに難くなく、成立に争いのない甲第一号証、原告ら各本人尋問の結果によつて認められる新二が原告らの唯一人の男子であつたこと、本件事故の態様、新二の過失、その他本件に顕われた一切の事情を斟酌すれば、その慰藉料は新二について金五〇万円、原告らについて各自金七五万円と認めるのが相当である。そして、原告らが新二の父母としてこれを相続したことは前認定のとおりであるから、原告らは被告に対し、各自新二の慰藉料の相続分金二五万円及び固有の慰藉料金七五万円の支払を求めることができる。

(三)  最後に、葬祭費について

原告ら各本人尋問の結果によると、原告赤池實は新二の葬式を主宰したことが認められる。そして、甲第五号証並びに右各本人尋問の結果中には、その費用として金四〇万円ないし四四万円程度要したとの部分があるけれども、仮りにそのとおりであるとしても、右証拠より認められる原告らの資産、収入の状況、新二の年令等を考慮すれば、原告赤池實の本件事故による損害として評価し得る葬祭費用は金二〇万円と認めるのが相当である。

(四)  以上(一)ないし(三)のとおり、被告に対し、原告赤池實は新二の損害金の相続分金一三七万〇、五三円及び固有の損害金九五万円の合計二三二万〇、〇五三円、原告赤池二三子は新二の損害金の相続分金一三七万〇、〇五三円及び固有の損害金七五万円の合計二一二万〇、〇五三円の支払を請求することができる。

四  よつて、原告らの本訴請求は、原告赤池實において金二三二万〇、〇五三円、原告赤池二三子において金二一二万〇、〇五三円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四八年一二月一日より支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言の申立については、相当でないからこれを却下する。

(裁判官 川上泉 富田郁郎 園尾隆司)

(別紙)図面〈省略〉

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